劣等感の克服方法!自己嫌悪に苛まれる苦しい人生とおさらばしよう

劣等感を克服する方法

駅前の交差点。

すれ違う若者グループが

声を出して笑っている。

 

それだけでも、

自分が笑われたんじゃないか…?

今日の服、ダサかったかな…?

 

以前のぼくは、

 

いつも、何かあると

自分が笑いものにされてるんじゃないか…

心の中でバカにされてるんじゃないか…

 

そんな風に、劣等感を感じながら

毎日を生きていました。

 

「考えすぎ」とか言われても・・・

人に相談しても、

「考えすぎ」

「いや、気にしすぎだから」

「人はそんなの見てないって」

「もっと楽に考えたほうがいいよ」

と言われたり。

 

いや、そりゃわかってるけど、

そんなこと言われても無理だよ~

気にしないでいられるなら、

こんな苦労してないってのよ。

 

心の中でそう思うのみで、どうすることもできませんでした。

 

しかし、今では劣等感というものを、

ほとんど感じません。

 

いつの日かまた感じる日がくる可能性もありますが、

このブログを書いているこの瞬間は、

およそ劣等感というものとは無縁の毎日を送っています。

 

なぜ、劣等感を感じなくなったのか?

その方法論を、順番にお伝えしていきます。

 

しかし、

方法だけをかいつまんでも、

劣等感から解放されることは難しいです。

 

なぜなら、

今のままですと、

劣等感を克服するための行動を起こす、

モチベーションが足りないからです。

 

劣等感とはどんなもので、

なぜ、その方法論なのか。

 

そういった、劣等感の「全体像」を掴んでおかないと、

たとえ「こうすれば劣等感を克服できる」と知っても、

 

「まあ、そのうちやってみるか…」

という勢いでは、

なかなか実際にやってみよう、という気持ちになることができません。

 

ですので、まずは

  • 劣等感とはなんなのか?
  • なぜ劣等感を感じるのか?

 

といった全体像から知っていくことで、

スムーズに行動に移せるようになるはずです。

 

では次へいってみましょう。

 

劣等感とコンプレックス

劣等感と共に、

よく取りざたされるのがコンプレックスです。

  • 劣等感→「他人と比べて自分は…」他人との比較
  • コンプレックス→「俺は顔がデカい…足が短い…」自分の満足度

 

このように、コンプレックスは、他人との比較は関係ないのに対し、

劣等感は、つねに他人と自分を比べ、自分が劣っていると感じることで起こる感覚です。

 

劣等感の例(しのっちの例も含む)

人生がウマくいってそうな人、

充実してそうな人、

 

そういった他人を見るたびに、

 

本当は自分もこうなるはずだったのに…

どこで間違ってしまったんだろ…

 

そんなふうに考えては落ち込んでいました。

 

いわゆるリア充(古い?)っぽい人

陽キャっぽい人

 

一緒にいるだけで、自分の存在がいたたまれなくなるので、

その手の人たちとの交流を常に避けていました。

 

それ以外にも、

いろいろな場面で劣等感を感じていました。

 

この項では、

具体的にどんな劣等感を感じていたのか、

年代別に特筆すべきものを追ってみましょう。

 

10代で感じる劣等感

中学生になるころには、

例えば、イケメン男子とそうでない我々に対する、

女子の対応が露骨に違うことなどに、気づくようになりました。

 

また、

  • 頭がデカい
  • 胴長短足
  • 大胸筋がまったくない

 

など、クラスメートがぼくの身体的特徴を遠慮なく指摘してくるようになり、

今まで気にもとめていなかった、自分の顔や身体を、他の生徒と比べてしまうようになりました。

 

しかし、

それにより笑いを取ったり、

学校での居場所づくりにも活用できたので、

 

そういった点では、自分はまだよかったかもしれません。

 

20代で感じた劣等感

ぼくはもともと、かなり要領が悪く

仕事でも怒られてばかりでした。

 

そして、20歳を過ぎると、

 

自分より年下の新人が、あっという間に仕事を覚えて、

自分を追い抜いて行ってしまったり。

 

そんなことが、日常茶飯事となりました。

 

で、そういう「できる新人」から彼女の話を聞かされて、

 

そのあげく「せんぱぁい、彼女いるんすかぁ~?」

と突然ぶっこまれ、

 

それ、触れるなオーラ出してたのに…

お、おれは彼女いない、仕事できないどころか、

正社員でもない…

 

と、すっかり落ち込んでしまったり。

 

人によって、違いが出始めるのもこの頃。

ぼくの劣等感は、この頃がピークでした。

 

30代で感じる劣等感

30代になると、

周りはすでに結婚して、

小学生の子供がいたりするのに、

 

自分は入職1か月で仕事をやめてしまったり。

 

本当なら自分も、

家庭をもってて、

子供がいて、

月1くらいで子供を連れて実家に帰ったりしてたはず…

 

この時もまだ、

むなしい空想とともに、劣等感を抱いて過ごしていました。

 

それでも、

このころから少しずつ、ぼくの劣等感は消失に向かっていったのです。

 

劣等感に苛まれる原因

人は、なぜ劣等感に苛まれるのか。

それは、本来比べるべきでない、自分より強大なものや優れたものを自分との比較対象としてしまうことが原因です。

 

反対に、比べる相手が自分より劣っているならば、今度は優越感を感じるようになります。

  • 負けてる…と思うから劣等感を感じる
  • 勝った…と思うと優越感を感じる

 

人に勝たなければ意味がない。

勝てない者には価値がない。

 

このような価値観をもつことで、

感じた敗北感がそのまま劣等感へと移行してしまうのです。

 

なにより、

スポーツであっても、人生であっても、一生にわたり勝ち続けるということはありません。

高いレベルに達するほど、上には上がいるからです。

結局、いつかは負けるのです。

 

つまり、

勝ち負けという軸でものごとを考えている限り、

一時的に勝利を得て優越感を得たとしても、

 

ひとたびの敗北により、優越感の全てが劣等感にガラッとすり替わってしまうことになるのです。

 

ひと昔前に流行した「勝ち組」「負け組」ということば。

これもまた、人々に勝ちと負けの軸を認識させ、

 

世間の劣等感の総量を、

大幅に増やした原因のように思えます。

 

間違った解決方法

この劣等感というものに対して、

「ありのままの自分を受け入れよう!」

なんてアドバイスを受けることもあるのですが、

 

それができたら苦労しねーよっっ!

と、思わず突っ込んでしまいます。

 

ありのままの自分を受け入れよう、

これはつまり、

冒頭で述べた「考えすぎだよ」と言ってることは一緒です。

 

足を骨折しているのに、

「さあ、立ち上がって前に進もう!」

なんて言われても、

 

あし折れとんじゃボケいっ!

と、思わず突っ込みたくなります。

 

劣等感をもっている人も、

心のどこかにケガを負っている状態です。

 

まずはそのケガを治療しないことには、

立ち上がることもままなりません。

 

自分の受け止め方を変えろ、という趣旨のアドバイスは、

理論的には正しいかもしれませんが、

それができたら苦労はありません。

ほぼ実践不可能といって良いでしょう。

 

では、いったいどうすればよいのでしょうか。

劣等感を克服する考え方

劣等感を克服するためには、

ものごとに対する認識にテコ入れする必要があります。

どうするかというと、

 

たとえば、

劣等感を抱きやすい人の価値観の代表的なものとして、

「○○でなければならない」「○○であるべき」

という、完璧主義的な「べき思考」というものがあります。

 

この認識を

「○○もあれば、××な時もある」

という認識に変えていきます。

 

環境やタイミングによって、

人の人生には、人の数だけ多様性が生まれるものなのだ、

という認識に変えていくということです。

 

 

世の中には勝ちと負けしかない、と思い込んでしまうことが、劣等感を抱く原因の大きなものの1つなのです。

 

では、なぜそのように完璧主義的な思考になったり、

世の中には勝ちと負けしかない、と思い込んでしまったりするのでしょうか。

 

そのやり方で完璧主義は治りますか?

 

親に刷り込まれた価値観を塗り替える

たとえば、

幼少期から両親が

成績上位であれば、めちゃめちゃ褒めてくれるものの、

ちょっとでも成績が落ちると、とたんに責め立てられたりする。

 

そうすると、

子供ながらに「自分は良い成績を出さないと認めてもらえない」

つまり、

「良い成績を取れなければ生きている価値がない」

とすら思い込んでしまうことになります。

 

勝てば天国、負ければ地獄でしかないので、

ただひたすらに勝ち続けようと踏ん張り、

そのまま大人になっていきます。

 

しかし、

永遠に勝ち続けることなどありえません。

上には上がいる世の中、

いつか必ず負ける日が来ます。

 

そして、

どうあがいても勝ち目がなく、

完膚なきまでに打ち負かされることも、

あって当たり前です。

 

どうやっても勝てない。

勝てなければ、自分は価値がない。

 

こうして、谷底に落とされたような挫折を味わうことになります。

 

 

ここで、

救いの言葉が聞こえてきます。

「負けたっていい、ありのままでいい」

 

励ましのメッセージとして、よく使用されるものです。

 

 

でも、

いきなりそんなこと言われても、

幼少の頃から体験と共につくられた価値基準は、

そう簡単には変わらないのです。

 

ここで矛盾が生じる

勝たなきゃ、自分には価値がない。

でも勝てない…

「負けたっていい、ありのままでいい」

 

勝たなければ、自分には価値がないと思って

ずっと生きてきたのに、

 

いきなり、ありのままでいい~なんて言われても。

いったいどっちなんだよ…

 

ここで、心の中に大きな矛盾を抱えることになります。

 

そして、人間にとって、矛盾は非常に苦しいものです。

 

そのため、

ほとんどの人はここで、

「自分には才能がない、だから負けてしまうんだ」

「あいつはっずるをしている、だから自分がまけてしまう」

 

と、自分の人生がウマくいかない原因を他人に見出してしまいます。

 

ここで矛盾と向き合ってみる

幼少のころから自分の親に

勝てなければ自分は価値がないかのように

刷り込まれてきてしまった。

 

けれど、

世の中には、勝ち負け以外の価値基準があり、

これは、先ほどの「ありのままでいい」という、表面上の励ましとは違います。

 

本当の意味で、そういう価値基準に囚われない人もいます。

 

世の中にはたくさんの基準があって、

顔がデカいとか、足が短いからといって、

(ぼくのことですけども…)

 

それが即、自分を否定するような話ではないのです。

 

そのような、

今までの自分にはなかった、

「自分のことなど全く気にしていない人がほとんどである」

という価値基準をインストールすることができると、

本当の意味で、心の奥まで楽になることができます。

 

…では、

いったいどうすれば、

矛盾と向き合い、新しい価値観を得られるのでしょうか?

 

それは、

前提をうたがうことです。

たとえば、

先ほど述べたような、幼少期に親から植え込まれた価値観

「勝つことでしか人に認められない」

これに対して、

「それは、本当にそうなのか?」

と疑ってみることです。

 

ぼく自身も、

幼少期に母から言われた言葉により、

これまでの人生の8割、大苦戦しました。

記事を取得できませんでした。記事IDをご確認ください。

 

子供の頃は、

親の保護なしでは生きていくことができません。

そのため、本能的に親の言うこと、やることをそのまま

この世の絶対的な常識ととらえ、コピーしようとします。

 

人間は、生存に有利な環境をつくるために、

そのような思考回路で幼少期を過ごすようにできています。

 

そしてそのまま大人になると、

今度は「それまで自分が信じてきたことだから」という理由で、さらに信じ込むようになります。

このとき、

自分が信じてきた価値基準で、特に問題なく生きることができていれば、自分の生き方に疑問を持つようなこともないかもしれません。

 

しかし、

  • 人とうまくいかない…
  • 要領が悪くて仕事ができない…
  • どうしても完璧主義を捨てられない…
  • 自分は他人と比べて生きている価値がない…

 

生きていて、

このような生きづらさを感じることがあるとなれば、

一度、自分が信じている価値基準、

親から刷り込まれたかもしれない価値観。

 

これを「本当にそうか?」と疑ってみることが重要なのです。

 

劣等感を克服する方法

劣等感を克服する方法は、大きく分けて以下のようなものがあります。

  • 人生の前提として信じてきたものをうたがう
  • 70%くらいが自分の本来の実力だと思っておく
  • その70%を高める行動を積み重ねる
  • その他、こちらの記事も参考に

 

人生の前提として信じてきたものを疑う

まず行うべきは、

自分が「こうでなければいけない」と思い込んでいる前提をうたがうことです。

たとえば、

この記事で例として扱っている「勝たなければ価値がない」という価値基準がありました。

しかし、もし勝利だけが価値の証明であるとするなら、

冒険もののアニメや物語は、勝ち続ける主人公にしか価値がないということになってしまいます。

 

しかし現実はどうでしょう。

主人公と戦って負けたキャラや、敵に敗れてしまったキャラでも、

主人公以上に人気が出るキャラもいます。

 

そして、

そういったキャラは大抵、

たとえ負けても清々しい負けっぷりだったり、

 

戦う姿そのものが、人に感動を与えるようなものであったりします。

 

このように考えるだけで、

「勝たなければ価値がない」という価値基準が、

人生を生きる前提として

ふさわしいとは言い切れなくなってくると思います。

 

自分が「こうあるべきだ」と思っていること。

そのなかで、これこそが一番大事!

と思うことから順に疑っていくことから始めます。

 

たとえばぼくは、

20代のころ、同じ20代ですでに結婚して子供がいたりする人を見ると、

何とも言えない強い劣等感に苛まれていました。

 

そのときぼくは、

「本当なら、自分もこうなっていて、親孝行していたはずなのに…」

などと感じていたわけですが、

 

そのように考えた結果、

つまり「本来の自分を失った」かのような、強い喪失感を感じてしまっていました。

すごく損したような気分になっていた、ということです。

 

こういった考えを繰り返していると、

自分の人生が、まるで損だらけの人生のように感じてしまうようになり、それがやがて確信へと変わっていってしまいます。

 

そしてそもそも、

  • 20代で結婚することが本当にいいのか?
  • 子供がいれば人生は良いのか?
  • それが本当に親孝行なのか?

 

と考えてみると、

20代で結婚すると、

体力も行動力もある20代でいろいろな制約に縛られてしまうことにもなる、ということはもとより、

 

子供がいる、いないなど、論ずるまでもなく人それぞれのことですし、

 

親孝行というのは、

生物的にいえば、そりゃ子孫を残し繁栄させること、

ってのもあるかもしれませんが、

 

個人的には、

両親が与えてくれた自分の命、人生を、ただ懸命にいきる。

これだって立派な親孝行、ご先祖さま孝行だと思っています。

(これはだいぶ個人的な価値観ですが…)

 

一生懸命に生きているだけで十分な親孝行である、ということです。

 

とはいえ、ぼく自身

頭の中ではそう思っていても、

気が付くと、他人と自分を比べてしまっていました。

 

つまり、

前提をうたがう、というだけでは

劣等感を克服するには不十分である、ということです。

 

70%くらいが自分の本来の実力だと思っておく

劣等感を感じるとき、自分の実力に対する過大評価が起きています。

 

決してそのチカラがないというわけではなく、

人間はそもそも、

自分が思う最大限の結果の70%くらいの結果が出せれば上出来なのです。

 

たとえば、

陸上競技の100mの選手で、

毎回自分の自己ベスト記録を出せる選手は、

ほとんどいません。

 

なぜかというと、

記録を出すには、走るための脚力以外にも、

  • よい天気
  • 適度な追い風
  • 心地よい気温
  • 隣で走る選手の走力

 

などなど、自分のチカラではどうにもならない

環境要因も結果に大きく影響するからです。

 

それらの全てがそろって、はじめて100%の記録が出る。

それが彼らの自己ベスト記録。

 

だとすれば、

100%の実力、結果などそうそう出るものではないのです。

 

これはスポーツに限らず、仕事であっても

  • 栄養状態
  • 前日の睡眠時間
  • 仕事以外の悩みの有無
  • 朝見たニュースの内容
  • 休日の前日かどうか
  • 一緒に仕事をする人の状態

 

ざっとあげるだけでも、

実力を発揮できるかどうかにおいて、

たくさんの要素が結果に影響してきます。

 

つまり、

100%の実力、結果を出すことは、

至難のわざといっても過言ではないのです。

 

劣等感を感じやすい人は、

同時に完璧主義的な面を併せ持っていることが多く、

 

100%の結果を基準に考えてしまいます。

 

100%うまくいったときの結果を基準にしてしまうと、

よほど奇跡的なことがない限り、

自分の満足いく結果を残すことはできません。

 

そして例えば、

他人に対して劣等感を抱くときも、

 

自分も100%、もしくはそれに近くうまくいけば、

同じようになっていたはずなのに。

 

このように考えてしまっているとすれば、

生きている限り、劣等感に苛まれ続けることになってしまいます。

 

なぜなら、

100%のチカラが出せるほど、条件がそろうことはほとんどないからです。

 

そこで、70%くらいの実力と結果を出せたら、

それを本来の自分の実力として考えてみましょう。

 

50%でも良いくらいです。

 

「70%じゃ全然足りないよ」

と思うかもしれません。

そこで次です。

 

その70%を高める方法を実践する

そりゃそうだろ!

と思われるかもしれませんが、

 

100%の実力は出せないもの、と割り切って

70%のチカラを向上させる方法を実践します。

 

つまり、

  • 多少体調が悪くても
  • 他のことで悩んでいても
  • お腹がすいていても
  • 緊張していても

 

それでもある程度出せるチカラ。

これを鍛えていこう、ということです。

 

具体的にどんなことをやると良いかは、

これらの記事でもお伝えしておりますので、

ご覧になってみてください↓

地頭を鍛える方法
自信がない人が自信を付ける方法

 

やってはいけないこと

人より秀でた能力を身に付けたいからといって、

脳トレをすることはおすすめできません。

 

必ずしもいけないというわけではありませんが、

 

たとえば筋トレをどれだけやっても、

ボクシングの試合で勝てるようになるとは限りません。

というより、筋トレだけでボクシングの試合に勝つのはほぼ不可能です。

 

脳トレにも、同様のことがいえます。

脳トレが全くの無意味というわけではありませんが、

人生を変えるようなインパクトはほぼ期待できません。

では何をしたらよいのか?

こちらの記事でお伝えしています。

脳トレは意味がない

 

記事のまとめ

劣等感というものは、

「自分はこうでなければならない」

「自分は本当はこうなっていたはず」

 

こんな風に、自分の基準を実力以上に上げ過ぎてしまい、

その基準に対する現実の自分に落胆することが、大きな原因です。

 

では、自分がその基準に近づくことができれば、

劣等感はなくなるのか?

といえば、決してそうではありません。

 

上には上がいて、どこまで行っても

比較対象が自分より優位な存在になってしまうからです。

 

どれだけ自分を高めても、

自分自身が「以前より実力が身に付いている」と実感し、

 

その自身の向上そのものに強い充実感を得ることができなければ、

 

「自分はダメだ…」という落胆から逃れることはできません。

 

そして、そのような自己卑下をしていると、

自分に自信が持てず、挑戦する機会を逃すことになり、

挑戦を逃せば、学ぶ機会を逃し、

 

ひいては、自分の実力をアップさせる機会を逃してしまいます。

 

人生の時間は限られています。

あなたの大切な人生の時間を、自己卑下することに奪われてしまっては、非常にもったいないです。

 

ぜひ、この記事でお伝えしていることを他の記事とあわせて実践していただき、

 

劣等感に悩む時間を、あなた自身の人生の充実のために割いていただけるようになっていただければ嬉しいです。

 

それでは(*^^*)

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ABOUT US
しのっち
こんにちは、しのっちです。

2018年に看護師を辞めて、せどりで独立
2022年に法人化しました。

今でこそ組織に属さず
4人の家族を養いながら自由にやっていますが、

もともと要領が悪く、
自分で言うのもなんですが非常に繊細で
周囲を気にするあまり、仕事もぜんぜん続かず。

30代でようやく看護師になったものの
HSP気質ゆえか、苦しい毎日でした。

そんなある日、ネットで起業家を育成するスクールに出会い、
なんといまでは、看護師を辞めて起業、自分の会社を持つまでに至りました。

ぼくの10代、20代は
転職回数10回以上、繊細で要領も悪く、

高校は一度退学し、2校目でようやく卒業。


仕事をしても
「おまえホント使えねえな!」
「なんでそんなにどんくさいわけ?」
「30歳になってそれは終わってるわ」

などなどバカにされ続ける日々。

そんな、何をやっても本当にダメだった自分が
たった一人でここまでこれた経験と思考。

自分と同じような状況で悩む人の
お役に立てるにちがいない!

ということで、ブログでシェアさせていただくことになった次第です。
2023年11月。最近めっきり更新が滞っていましたが、
改めて更新を再開する予定です。
m(__)m

エックスではブログの更新もつぶやきますので、
良かったらフォローしてね。
(*^^*)