看護師辞めちゃえばいんじゃね!?
(正気か…!?)
そう考えたぼくは、さっそく妻に話してみました。
「あのさ、もし、副業がだいぶ稼げるようになったら、看護師辞めちゃおうかなーなんて!?」
すると妻は
「えぇー!?」
と驚きながらも、
「まあ、だめだったらまた看護師やればいいのか」
と、肯定的に受け取ってくれました。
(あれ…めちゃ反対されると思ったんだけどな)
しかし、
なぜ妻は反対しなかったのか?
それには理由がありました。
数字を見せ、ビジョンを共有する
ビジネスの勉強を始める前に、
ぼくは副業としてブログに取り組んでいました。
妻は当初、来る日も来る日もちっとも稼げない僕に対して、
まぁがんばってねー(棒読み)
と、半ば呆れ顔だったのですが、
徐々に増えていく月額報酬の画面を見せていくうちに、
いつのまにか積極的に応援してくれるようになりました笑
そして、ビジネスの勉強を始めてからも、そのブログは放置したまま、
月に5万円程度の収益を1年くらい維持してくれたのです。
半分以上は高速道路代に消えてしまいましたが、
自動的に発生するブログ収入のおかげで、ぼくは本業と勉強に専念することができました。
(時給換算500円くらいだったけど、がんばってよかった…)
妻がぼくの退職に対して反対しない理由は、
こうしてある程度、数字で証明することができていたことも大きいですが、
それだけではありません。
もう一つは、
ビジョンを共有していたことです。
ぼくは、ビジネスの勉強をしてから、
学んだことをアウトプットすることの重要性を、痛いほど実感していました。
どんなに素晴らしい知識や情報も、ただ単に読んだり聞いたりしただけでは、なかなか頭に入らず、身につかないんですね。
1週間もするとほとんど忘れてしまっていたりします。
なので、
ぼくはいつも、妻に自分が学んだことや、職場で実践したことを、自分の感覚や体験を通して話すようにしていたんです。
妻は本来ものすごく保守的で、
脱サラなんてとんでもない。
普通に定年退職まで働ければそれでいいじゃん!
という、
典型的な「危ない橋は渡りたくないタイプ」だったんですが、
ぼくの話を聞いているうちに、徐々に考えが変わっていき、ぼくから「退職」と聞いても
「やめてもまぁ、どうにかなるっしょ」
と思えるようになったそうです。
もうすぐ二人目の子供が生まれるとしても、です。
夫婦そろって、要領が良くないという自覚も
もちろんありました。
でも、大丈夫だと思えたんですよ。
これもまた、ビジネスを学んだからこそです。
ただぼくは、
一度看護師を辞めたら、そう簡単には戻れないことは分かっていました。
なぜなら、
ぼくは要領が悪いからです…笑
ほんとうに、忘れることはとことん究極までに、
それこそ、消し飛ぶように忘れてしまいます。
これを書いている今、
ぼくは看護師の仕事のことも、ほとんど思い出せません。
それだけでなく、
医療の世界も日々進歩しており、正しいとされることが年々更新されていきますので、
今なんらかの知識を覚えていたとしても、数年後には時代と共に陳腐化してしまっていたりもします。
そして、注射をはじめとした技術もやらなければ、どんどんヘタクソに。
特にぼくはそうした技術が身体にしみつく前に辞めてしまったので、
今やれと言われても、注射一本できません…笑
あ、でも
看護の仕事で学んだ感覚というか、経験は相当、今も役にたっています。
ぼくのように要領の悪い人は、こうした「どの業界にも通ずる普遍的なこと」を学んでいくと、
人生がだいぶ楽になります。
まあどっちにしても
一度脱サラして、数年のブランクを開けて看護師に復帰するとなると、命がけにならざるを得ません。
しかし、
妻にそんなことを知られるワケにはいかないので、
(辞めたらマズイと思われる)
「そうそう、あー大丈夫!」
と、まるで脱サラなんて当然かのような流れにもっていきました。
なりたくてなったはずだった?看護師を続けられなくなった理由
もうタイトルに書いてしまったので、お察しかもしれませんが、
結局このあと、ぼくは看護師を辞めます。
2019年夏でした。
上の子どもは1歳、
下の子は生後4か月。
周囲からは、
なんで看護師やめちゃうのーもったいない、
ってさんざん言われたんですが、
自分にはこの仕事は続けられない。
本気でそう思っていました。
なぜかというと、
たとえば、
精神科看護師ってのは、入院している患者さんにとって、
ある種のモデルケース、つまりお手本みたいにならなければならない部分もあるんですよね。
で、入院してくる患者さんは、
なんというか、
良くも悪くも、いわゆる一般的な常識とはかけ離れた世界観で生きてきた人が多い印象がありまして。
ぼくのいた病院では、
基本的に患者のそういった価値観は、「できるだけ正すべきもの」とされていて、
看護師は、患者さんを一般的な価値観に誘導していくような
ありかたを求められてたんですよね。
社会の枠組みに、自ら馴染んでいけるように指導する、なんて言うとおこがましいんですが。
たとえばお金の使い方であれば、
やれ計画的に使うようにしましょうとか、無駄遣いは避けましょうだとか、
使うのは一日何円までにしましょうだとか。
日常生活に関して、いろいろ口を出したり…
あいや、助言する役割もあったんですね。
なんというか、
ぼく、そういうのスゴく嫌だったんです。
何でかというと、例えばここだけの話
職場の先輩、同僚、誰を当たっても、
ぼくの知る限り、そんな風に計画的にキッチリ生きているような人は一人もいませんでしたし、
もちろんぼく自身も、
そうした社会の一般的な枠組みに、全く適応できずに生きてきた人間でした。
なのに、
ぼく含めて、誰もできちゃいないのに、みんなして一般論っぽいことを言うわけですよ。
まあ、
周囲の看護師はみんな、少なくともぼくよりは、よほど一般常識のある人達だったと思います。
ですので、
そうやって「それが正しい」とちゃんと信じてる人が、一般常識について語るぶんには、決して間違っていないと思うんです。
しかしぼくにとっては、
その一般常識というものが、そもそもよくわからず。
半信半疑のまま、なんとな~く、
世間ではこういわれてるから…と、
心から思っていないことを、さも正しいかのように言わなければならないことが、
だんだんと辛くなっていきました。
それならばと反対に、
患者さんに対して、自分の本心を素直にさらけ出してしまうとします。
たとえば患者さんに、
「ムダ遣いとかいうけどさぁ、そもそも何をもってムダなのかわかんないよね。何がいけないのかわからん!」
とか言っちゃったとします。そうなると、
今度は他の看護師といってることが矛盾することで、
医療として、組織として問題となってしまうし、
患者さんから見ても、誰を信じてよいのか戸惑ってしまうかもしれません。
それでも、
周囲の看護師が言う一般的な感覚というものに対して、それが正しいって心から言えないんですよ。
でも、当時の職場では、
それが正しいとして、患者さんがその一般的な感覚に合わせていく支援をしなければなりませんでした。
つまるところ、
こんな自分が、この仕事やってていいのだろうか…
と迷い始めたんです。
それでもこれまでは、
ぼくにはこの仕事しかないので、こうして我慢して、自分を偽ってでも、
一般常識とは何かを学び、伝え続けていかなければならない。
それが自分に与えらえれた役割であり、
要領の悪い自分が生きていくための、唯一の道なんだ。
そう思っていたんです。
でも、ビジネスを学びはじめて、
要領の悪い自分にも、看護師以外でも生きていける道があると知りました。
そうなってからは、
これ以上自分が安定にしがみつき、看護師として生きることは、
むしろ社会悪なのではないか!?
自分の存在が、他の看護師の足をひっぱることになるじゃないか?
と思い始めたのです。
辞める条件はすべてそろった!
まとめますと、
- お金をもっと稼ぎたい
- 子供ともっと長く一緒にいたい
- 患者さんにも自分にも、ウソのない人生を生きていきたい
僕が看護師を辞めたい理由は、シンプルに言うとこの3つを実現したかったからでした。
一方このころ、すでに要領の悪さで悩むようなこともほぼなくなっていたのですが、
もしも上記の3つを実現するためには、
もはや起業するしかありませんでした。
そして、
オンラインスクールでの学びを活かせば、それらを実現することができるはずだと。
確信に近いものが、すでにありました。
もう、ここまでくると、看護師の仕事のための勉強なんかも、
まったく身が入らなくなってしまいました。
そうして、不安はありましたが、
ぼくは、5年続けた看護師人生に終止符を打つことにしたのです。
といっても、副業のブログは更新をストップして完全放置でしたし、
ブログで再度稼げるようになるには、まだまだ時間を要する可能性が高いと判断。
そこで、
結果の出やすいとされる物販で起業することにしました。
もちろんその時は、物販というものをやったこともなく、
その名前も、入校してから初めて知りました…笑
でも、イケるはずだ…
そう自分に言い聞かせ、意を決し、
なんと、売上ゼロのうちに看護師を退職してしまいました。
(退職してから始めた、ということです)
いやいや、
いくら考えても、
完全未経験で脱サラとムチャだろ!
あれだろ、看護師資格持ってるからって、
ウマくいかなかったら看護師に戻ればいい…
って思ってるんでしょう、どうせ。
どうなるシノッチ。
もちろんこの後、
いつもの○○が待っています…!
次回、風雲急を告げる!?
【第13章】へ続く↓
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