【第7章】ガリガリ君も食べられないほど追い詰められ、意識が飛んだぼくが取った行動とは!?

吐き気をこらえる看護師

無事に看護師免許を取得したぼくは、

「卒業してからより、実習の時の方がはるかに大変だった…てへぺろ」

という先輩の言葉を鵜呑みにし、

 

「まぁ、どうにかいけるっしょ!」

と、完全に看護師の仕事を甘く見ていました。

 

自分の要領の悪さも忘れて…

 

新人担当にマウント取られ続ける日々

ついに某病院にて、

看護師としてデビュー。

最初の1週間は、新人全員を対象にしたオリエンテーションを行うのみでした。

 

その後、各配属先に分かれるのですが…

ここからが、真の地獄の始まり(またそれか)でした。

 

こんなぼくでも、これまでの仕事で、

肉体的、精神的苦痛を自分なりに、

存分に、お腹いっぱいに味わってきたつもりでした。

 

そして、その極めつけが看護の実習であり、自分の人生で、あれ以上にキツいことは、そうそうないものだと思っていました。

 

しかし、あれほど大変だった看護の実習ですら、

ドラゴンボールで言えば、ラディッツ、スポポビッチ程度にしか過ぎなかったのです…

 

話を戻しまして、

看護師には「プリセプター」といって、新人1人につき、指導を担当する看護スタッフ1人つけるのが定例となっています。

いわゆる新人担当ですね。


で、ぼくの担当になったのは、

確か7歳くらい年下?の男性でした。

 

あまりこういうことを言うのもどうかとは思うのですが、

単刀直入にいうと、

ひどい目にあいました…笑

 

簡単に言うと、こんな感じです↓

  • 質問に答えてもらえなかった(シカトってやつです)
  • 自分のミスをぼくの責任にされた(結構重大なミスです)
  • 意思疎通のできない患者を罵倒していた(倫理観どこいった)
  • 他のスタッフがいないところでは無視されていた(完全無視ですよ)

 

質問をすると、完全なる無視か、答えてもらっても

「それ、前に言いましたよね?」

とのみ言い残して去ります。

 

他のスタッフの前でもこれを言われたんですが、

言われたことはほぼ、こっそりメモを取っていたので、

そんなに聞き漏らしがあったとは思えないですし、

 

自分がミスしたことを、他のスタッフの前で「これ、違うって前にもいいましたよね?」と、

完全に、ぼくが間違えてやってしまったことにしてきたこともあり、

「え…!?まじかよ」と、愕然としました。

だってまるきりウソでしたから。

 

自分のせいにされた。

という事実に気づくまで、1分以上かかりました。

 

まさか、平然とそんなことをする人がリアルに存在するなんて…

と、理解が追い付かなかったからです。

 

さらに、もっとも印象に残っているのは、

この先輩看護師に同行し、

意思疎通のできない「寝たきり」患者の足に白癬(みずむし)の薬を塗るときでした。

 

「うわー、気持ちわりぃー!まじ触りたくねー」

と、その看護師が患者の前で口に出して言ったのです。

 

ぼくは耳を疑いました。

そりゃあ、進んで触りたいひとはいないでしょうよ。

でも、それ言っちゃうの…!?

 

その患者は意思疎通できないとはいえ、聞こえはするし、状態としては、その意味も理解できます。

言われた患者はどれほど傷つき、悔しかったでしょうか。

 

これを見た時こう思いました。

(こいつ、やべぇ…)

 

ぼくに対して態度がきつかったりするのは、

もしかしたら、ぼくにも原因があったかもしれません。

なんつっても要領が悪いもので、迷惑もかけてきたと思いますし。

 

しかし、

意思疎通できない患者にその言い草はひどすぎる。

(ここで、このスタッフに何も言えない自分も自分なのですが…)

 

この一件で、

ああ、この人やべぇやつなんだ

と思ってからは、


この先輩看護師に何か仕事を教わることは、きっぱり諦めました。

 

しかし結局、

山積みの課題と、異常なカリキュラムを組まれたことで、

同時期に配属された新人、ぼくを含む4人全員が、

 

朝は7時半に出勤、

退勤は早くても夜8時、遅ければ夜10時と、

わけの分からない残業地獄が続きました。

 

残業手当…

残業手当…

残業手当…

 

もちろん、そんなものは存在しません。

 

そして、家に帰ってからも、

翌日以降に向け仕事の復習をしたり、予備知識を蓄えておかねばなりません。必死で。

 

ぼくは自分でもリアルに感じ取れるほどに、日ごとに衰弱していきました。

 

今思い返すと、

新人育成の裁量は各配属先にゆだねられていて、

(これがそもそもおかしい)

 

どのくらいの速さで新人を育てていくかも、このプリセプター(先輩看護師)が決めていたようです。

(どうりで異常にきついわけだ…)

 

家に帰っても課題は山積みですし、

次の日、どんな病気の患者を突如担当させられるか分からない恐怖と不安から、

ひたすら深夜、場合によっては明け方まで勉強し知識を詰めこむ日々。

 

何がそんなに不安かというと、

看護師免許を取って、デビューしたその日から

 

いきなり、

スタッフ同士の腕に練習で数回しか刺したことのない注射を、入院したばかりの患者さんの腕に打たされたり、

 

また、患者さんに対し、食後に飲む薬を渡すのも看護師の役目なのですが、その病院の管理方法がけっこうアナログでクセがあっため、

自分なりの確認はするのですが、それでも100%間違いないかどうか、不安になりながら患者に内服薬を配らされてました。

 

1つ間違えれば、

人体に大きな影響を及ぼす可能性のあることを、

 

ただ看護師免許を持っているというだけで、

いきなり他のスタッフの保護のない状態でやらされることです。


(あとで知ったんですが、他所の病院では新人にいきなり一人でやらせるようなことは、決してしないそうです…笑)

 

営業でも接客でも、入社初日から

「もう社員なんだから、一人で行ってきて」

とはならないと思うんですよ。

 

このままでは、

いつかミスをして、患者さんに何か取り返しのつかない不利益をもたらしてしまうのではないか…

という不安が常に脳裏をよぎっていました。

 

そのため、

ひたすら知識を補い続けていないと、

不安でおかしくなってしまいそうでした。

 

家に帰ってからも、

食事を用意する時間、食べる時間すらもったいなかったので、

寮に入ってからそろえようと思っていた電子レンジや冷蔵庫も結局買わず。

 

もうこの時になると、

なにか買おう、という気すら起きませんでした。

 

食べるものといったら、

仕事の帰り道、『ガリガリ君』と『雪見だいふく』を買って帰り、

溶けないうちに食べながら、テキストとメモ帳を開いて勉強するという毎日でした。

 

体重は1週間で74㎏→66㎏に。

8㎏も減ってしまいましたが、それでも何も食べる気が起きませんでした。

 

毎日まいにち、

力量を上回る仕事をさせられ、常に負荷をかけ続けられ、

 

他のスタッフの前で罵声を浴びせられ、

ミスを押し付けられ、

誰にもフォローしてもらえず

 

気づいたら、毎朝起きるとすぐに

「ぐえー」

 

と、嘔吐してから出勤するようになりました。

(汚くてすみません…!)

 

でも、アイスしか食べていないので、胃液のようなものしか出てきません。


そんな生活が当たり前になると、

 

やがて、雪見だいふくも食べられなくなりました。

 

今考えると明らかに変なのですが、

モチモチの皮を飲み込めないような気がして、

のどに張り付いて詰まるんじゃないかと、怖くなったのです。

 

ぼくは、ガリガリ君だけ買って帰るようになりました。

 

体重はさらに3㎏へり、合計で11kg減

 

しかし、この時不思議なことに、思ったより身体の調子が良かったことが印象的でした。

全然食べてないのに、風邪も引かないし、

 

ぼくは週1回くらい頭痛を起こすのですが、この間まったくならず。

 

今思えば、

交感神経が常に優位、つまり

緊張状態がずっと続いていたため、不調に対する感覚がかなり鈍っていたせいかもしれません。

 

それでも、

感覚的にはとても調子が良かったので休日、ぼくはいつもの勉強を辞めて、

(というか完全に現実逃避で…)

 

自転車で何時間もかけて、とある島のそばにある砂浜へ向かいました。

 

まだ春でしたが、浜辺には犬の散歩をしたり、体育座りで海を見つめる人がいて、

のんびりとした空気が流れていました。

 

ざざぁー…っと、

寄せては返す波。

 

飼い主をグイグイ引っ張りながら、

嬉しそうに息をはずませるイヌ。

 

あぁ。

これがほんとの休日の過ごし方だよね…

 

自分の人生が、おかしな方向へ向かいつつあることは
うすうす感じていました。

 

けれど、そのことについて、

考える暇も余裕も

どこを探しても見つからないのです。

 

訪問入浴時代、

自分も看護師になれば「あちら側」の人間になれると思った。

手に職で、安定できると思った。

 

しかし、

フタを開けて見れば、

資格を手にしても、その資格を使った「仕事」が一人前にこなせない。

 

なぜ、自分はこんなにも要領が悪いのだろう…

なぜ、もっとうまくやれないんだろう…

 

それまで快調だった身体が、急にズーンと重たくなるのを感じました。

 

「やべぇ、帰りたくない…」

 

早く帰って勉強しなきゃ。

けれど、帰ったら明日が来る。

帰らなくても、明日がくる。

明日がくるから、帰らなくちゃ。

けど、帰りたくない。

 

もう、頭の中がごちゃごちゃでした。

 

数時間自転車をこいだ足が、この時になってパンパンに張り、

マブタがぴくぴくと痙攣し、

手に力が入らず、

 

何もしていないのに、呼吸が速く、苦しくなり。


心臓の音まで聞こえる。

 

…まさに全身が「帰りたくない」を表現していました。

 

それでも、

現実に立ち向かわなければならない。

 

今日をやり切って、

明日を迎え撃たなければならない。

 

やるしかないのだ。

 

ぼくは両脚をバシ!!と叩いて立ち上がり、

 

「気合いだ!気合いだ!おい!おい!おいぃー!」

 

どっかで聞いた、元気を前借りできる魂のフレーズを連呼した。

 

砂浜を何度も何度も踏みつけ、

ひたすら自分を鼓舞し、

再び自宅に向かって自転車をこぎ始めました。

 

 

そうして、

何時間こぎ続けたでしょうか。

正午あたりに出発し、自宅近くにつく頃、

すでに辺りは暗くなっていました。

 

結局、

ぼくは自宅についてすぐ、勉強を再開しました。

立ち向かわねば…その一心でした。

 

でも、みんな口をそろえて、

卒業してからの方が全然楽、って言ってたのになぁー

 

なんだか腑に落ちなかったので、

 

数日後、

同じ病院の他の科に配属になった知り合いや、

看護学校の同級生で、他の病院に就職した友達に現状を聞いてみました。

 

すると、

驚くべき真実が明らかになったのです。

 

まず、同じ病院の他の配属先へ行った知り合いは、

 

同じころ、

ようやく1日に1人、患者を担当してみようかー?という話がでたくらい、とのことでした。


ぼくの就職した病院の配属先では、すでに1日1部屋(6人部屋)以上の患者を担当していました。

 

つまり4~6人程度の患者を担当していた(させられていた)のです。

 

さらに、

他の病院に就職した友達は、

まだ先輩にシャドーイング(先輩についていって見学して学ぶ感じ)しかしていないと。

 

それを聞いて、

ぼくは外れそうになるアゴを両手で支えました。

 

やっぱり、

うちは特に厳しかったのか…と腑に落ちたぼくは、

同時に、一つの策を思いついたのです。

 

ついに中ボス戦…真っ向勝負だ!

厳しい新人教育に、

ぼくだけでなく、

同期の3人も相当に苦戦していました。

(それでも、もちろん皆ぼくよりは相当上手くこなせていましたが)

 

そこである日、ぼくは同僚3人を集め、

 

育成の速度を少し緩めてもらうよう直談判してみないかと持ち掛けました。

 

みな、ぼくと同じように友人などから情報を集めていたようで、

自分のところだけが異常に厳しいらしい、と気付いていたようでした。

 

それなら、やるだけやってみよう、ということになり。

ぼくが口火を切ることになりました。

 

そして実行の日。

仕事の合間、同期4人と新人担当数名がそろったタイミングを見計らい、

 

ぼくが言い出しっぺとなり、

「ちょっと今いいですか」と、次のような話を持ち掛けたのです。

 

  1. これほど厳しいのは当院においても、うちの病棟だけであること
  2. 他の病院に至っては、うちの病棟の比でないこと
  3. 心身ともに限界が近いこと
  4. 何ゆえにこれほどまで厳しくされているのか、理解できないこと

 

以上を伝え、育成の速度を落として欲しいと訴えました。


…が、



結果は却下


「それはできません」とのこと。

理由を問うと

「自分たちも新人の時にそのようにやってきたから」

だそうでした…笑


さらには、

「今後もっと厳しくしていく予定だから、覚悟しておくように」

とも付け加えられました。

 

ぼくはすぐに諦めました。

これは言ってもムダだと。

 

なんせ、すでに仕事の間、立っているだけでもキツイ状況だったので、無駄な労力を割く余裕がなかったのです。


その後、何事もなかったかのように、激務は再開されました。


そうして、5月に入り、

事件は起きたのです。

 

 

入職してから半月が過ぎたころ。

 

心身共に限界を迎えたためか

もはや先輩に罵倒されようと、

ミスを擦り付けられようと、

 

それに対してぼくは、ほとんど何も感じなくなっていました。

 

そしてある日、

 

ぼくはある薬剤を1つの入れ物にいれ、シャカシャカと混ぜる作業をしていたのですが、

 

作業の途中からぼーっと気が遠くなり…

 

「漏れてる漏れてる!!」


という先輩の声

 

我に返ると、

 

ぼくは、ツツーっとヨダレを垂らしながら、

薬剤を自分の制服と床にぶちまけていたのです。

 

一瞬、なにが起きたか理解できませんでした。

なんと数秒間、立ったまま意識が飛んでいたのです。

 

入れ物のフタも開いていました。

恐れていたことが起きた。

僕は思いました。

 

このままでは、いつか重大なミスを犯し、

患者に甚大な被害を与えてしまうかも…

これは、やばい…

 

喉がカラッカラになり、

言葉も出ず、

瞬きもせず、

 

ただぼーっと立ち尽くしていました。



たとえば、

何かミスったり失敗しても、

単に自分の仕事が忙しくなったり残業が増えてしまうだけなら

まだ自分が頑張ればよいだけですし、

 

時間はかかっても、いずれはこなせるようになっていくでしょう。

 

しかし、

この仕事は人の命を預かる仕事。

1つのミスで、患者に致命的なダメージを与えてしまう可能性もあり、

 

さらには看護師の免許もはく奪されてしまうかもしれない。

そしてそうなったとき、この職場では自分は一切守ってもらえそうもない。

 

もうこれは限界だ。

自分の失敗に責任が持てない。

 

ぼくは、とにかく今のままでは、正常な思考ができそうもないので、

一度体制を立て直すべきであると考えました。

つまり、退職も視野にいれるということです。

 

ここで撤退しないと、

とてつもない惨劇が起こる…

しかも、この自分の手によって。

 

そんなことがあってはならない。

 

ぼくは意を決し、

当時の上司にそのことを相談すると、

 

なんとあっさり、

4日間、休みを取るよう勧められ、

あまり気は進まなかったものの、言われたとおりに休ませてもらうことにしました。

 

休日1日目、


ぼくは死んだように寮で眠りこけました。

文字通り、布団の中でぴくりとも動きませんでした…

いや、動けませんでした…笑

 

2日目、

さすがにこれではまずいと思い、

気分転換のため再度、自転車で湘南江の島へ向かいました。

 

数時間後、到着

 

…あれ?

前回来た時よりも、だいぶ海が青く明るくて、

道路際の木々の葉っぱも、サヤサヤと元気に見えました。

 

本当に驚きました。

見えてる色も感じる空気、雰囲気もまるで違う。

 

前回来た時に、自分のメンタルがいかにヤラれてしまっていたか、よくわかりました。

 

そして、

この休みが明ければ、また辛く苦しいだけの日々に逆戻りするということも、

わかりました。

 

どうにかこの苦境を乗り越える方法はないか…

ぼくは砂浜にドカっと腰掛け

腕を組み考えました。

 

このまま続けてもジリ貧だ…

 

そもそも、

こんな想いまでして残りたい職場なのか?

 

もう、苦痛から逃げたい一心でした。

 

うーむむむ…

 

はっ!?

もしや…そうゆうことだったのか!

 

その時、ぼくはあるカラクリに気づいたのです。

 

奨学金というねずみ取り?

ぼくは勤務していた病院から、

奨学金を借りていました。

 

金額を公開すると病院がバレてしまうかもしれませんので、くわしくは言えないのですが、

(言いたいように言ってますし…笑)

 

看護学生3年間の間に借りた金額の合計は

7桁(百万円単位)でした。


これを、卒業後に

3年間働くことで返済が免除される契約だったのですが


よく考えて計算すると、たとえば

 

1年目は到底、仕事が定時で終わらないとして、

1日2時間残業するとします。


しかし、
1年目は、技量や知識が不十分とかの理由で
非常に残業代を申請しづらい空気のため


実質サービス残業となります。



残業1時間=2000円として、

2時間で4000円。

これが1か月ざっくり23日勤務とすると

4000円×23日=9万2000円(1か月あたりのサービス残業代)

そして、

9万2000円×12か月=110万4000円



なんと、

110万4000円分のサービス残業をこなすことになります。


んで、残業代は申請しなければ出ないので、

2年目以降も

1時間くらいなら残業代申請しなくていっか…


なんてことをやっている、と。

で、どのみち定時で帰れることはないので、

毎日1時間残業する前提で計算すると、

1年で55万2000円、サービス残業する計算になります。



これ正直、

学生に対し、多少多く奨学金を貸したとしても、数年で十分にペイできますよね。

 

そうゆうことだったのか…!

 

ぼくは、急いで寮に帰り、奨学金の契約書を見直してみると

 

今病院を辞めた場合、

これまで借りた奨学金に年15%の金利をのせて、

即時に返済しなければならないとのことでした。

(全然みてなかった~。さすがに要領悪いわぃ…笑)

 

やはり、そうゆうことか。

 

最初に、奨学金という美味しいエサを与えられ、

卒業後は、ムチでビシ!ビシ!と厳しく教育される。

途中でやめれば、15%増しで一括返済しなければならない。


結局、3年間働き続ける以外に道はないため、必死に適応せざるをえない。

しかし、

一見グレーなやり方にも思えても

奨学金のおかげで楽に学生生活を過ごせたのも確かでした。

 

もし辞めるとしたら、返すしかないか…

でも、全部つかっちまったしな…

 

それでも世の中、看護師は慢性的に不足しています。

 

お金さえ返せれば何とかなる…僕はそう考えました。

 

他の病院に転職したとしても、3年間くらい節約生活をすれば、十分返済できる金額ではありました。

 

しかし問題は、一括で返済しなければならないということ。

 

銀行に借りるとしても、次の就職先が決まってないとだめだよな…

 

結局、

ぼくは両親に事情を話し頭を下げ、お金を借りることにしました。

 

===============

…このプロフィールの冒頭で、
まるで両親のせいで要領が悪くなった!
とでも言わんばかりだったくせに…笑

===============

 

そうしてぼくは、

奨学金を一括返済し、

他の病院へ転職する計画を立て始めたのです。

 

時は5月中旬。入職してまだ1か月とちょっとでした。

(はやっ!)

 

なかなか辞めさせてもらえない…!?かくなる上は地蔵の術



看護師の転職話でよく、

「なかなか辞めさせてもらえなくて…」

という話を聞きます。


ご多聞にもれず、ぼくの勤務先でもそういったウワサは多々ありました。

しかしぼくにとって、

もはやその職場で仕事を続ける選択肢はなかったので

 

4日間の休みが明けるとすぐに、当時の上司に退職の意向を伝えました。

 

数日休みを取っても、

自分の意向は変わらなかった。

むしろコレコレシカジカ、

思うところが強くなった。

 

そんなふうに、ありのままを説明しました。

この時の上司(看護師長)はさすがに止められないと思ったのか、

すぐに看護部長(看護部のトップの人)につないでくれました。

 

というわけで、

いよいよラスボスです。

看護部長室にはいると、なんと先ほどの上司も同席するとのこと。

(2人でぼくをやり込めるつもりなのか…?)

 

2対1の戦闘となり、完全に意表を突かれたスタートになりました。

 

まずは、

ぼくから退職への意向を話しました。

 

するとその直後。

看護部長は開口一番、こう言い放ったのです。

 

「今やめても、他でやっていけないよ?」

「そんなんじゃ、通用しないよ?」

 

あぁ、やっぱりな。

これ、言われると思ってました。

 

ある意味、予想通りの展開に拍子抜けしたぼくは、

ワザとらしく悔しそうな顔をしながら、こういいました。

 

「はい…おっしゃることはごもっともです」

「しかし、これ以上続けていては、いずれ大きな事故を起こしてしまいます。」

「そうとわかっている以上、続けるわけにはいきません…」

 

以下やりとりです↓


看護部長「やめてどうするつもりなの?」

シノッチ「精神科病棟に勤務しようと思います」

看護部長「精神科なんて行っても、ダメになるだけだよ?」

シノッチ「おっしゃることは分かります(わかんないけど…笑)それでもぼくの退職の意志は変わりません」

看護部長「他の科に異動するっていう手もあるけど?」

 

そう来ることも予想通りでした。

 

シノッチ「おっしゃることは分かります。申し訳ありませんが、それでもぼくの退職の意志は変わりません。」

看護部長「自分のキャリアがダメになってもいいの?」

シノッチ「おっしゃることは分かります。申し訳ありませんが、それでもぼくの意志は変わりません。」


以下、ぼくは何を言われても、お地蔵さんのごとく、同じ返答をし続けました。

 

ぼくは要領がよくないため、変に考えて返すより、

何も考えずに同じ返答を繰り返す方が、変に説得されずに済むと考えていました。

ちなみに、精神科病棟に行くというのは本心です。

 

理由についてはここでは触れませんが、

本来であれば、外科、内科、ある程度幅広く経験してから、最終的に精神科病棟へ行きたいと思っていました。

 

それを「もう最初っから行っちゃへ!笑」

と、思い直したのですが、

その気持ちをそのまま看護部長にも伝えました。

 

何度も問答を繰り返し、

2時間くらい経ったでしょうか。

 

結果、

ぼくの退職は認められました。

 

1か月間の地獄のキャンプを終えて、

ぼくは晴れて自由の身となったのです。

 

しかし、当然それですべてが解決したわけではなく。

 

ところで、次の仕事どうすっかな…

アテなど全くなく、ぼくは久しぶりに途方にくれました。

 

数日間、考えこむ日々が続きましたが、

両親に奨学金を建て替え、返済してもらった手前。


いつまでも

クヨクヨしているわけにはいかないので、

母校の看護学校の先生に相談しに行きました。

 

すると、すぐに某精神科病院を紹介してもらえることになりました。

 

詳しい部分は省略しますが、

初年度は臨時の職員として、2年目からは新卒と同じ枠で採用してもらえることになったのです。

(この時相談に乗っていただいた先生には、本当に感謝しております)

 

そうしてたどり着いた新しい職場は、

以前の職場とは何もかもが比較になりませんでした。

 

  • 給料は同じくらい
  • 残業ナシ
  • 休みは1.5倍くらいある(体感)
  • 人間関係も良く…

 

同じ看護師が仕事をする環境とは思えないほど、全てにおいて恵まれた環境でした。

(この時のぼくにとっては…)

 

ぼくは、生まれて初めてノビノビと働き、仕事に慣れていきました。


ここが、ぼくの最後の職場になるかもしれない…

たった数年後、この言葉が

違った意味で現実になるとは、

この時はまだ、思いもよらないのでした。



次章、

精神科看護師として働く平和な日々が、

ガラガラと音を立てて崩れ去った出来事とは…!?


【第8章】へ続きます↓

同僚の年収を聞き唖然とする人

 

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ABOUT US
しのっち

こんにちは、しのっちです。

看護師を辞めて4か月で前職の収入を超え

現在は1日4時間の作業で家族を養いながら 次のビジネスを模索中の2児のオヤジです。

今でこそ、そこそこ涼しい顔して生きていますが、

HSP気質な上に、
もともと超・要領が悪いため、
かなりの遠回りを経てここまできました…

これまでの経歴としては

・人間関係になじめず高校退学
・要領悪すぎて職を転々
・高速道路で事故る
・ビビッて決断ができず、株で貯金が消し飛ぶ

まだまだありますが、

とにかく周りを気にし過ぎ、何をやってもダメ過ぎて、

ダメにダメを塗り重ねたような人生でした…笑


そんなぼくが、
いったいどのようにして、 今の今まで生き延びたのか?
知りたい方は以下のリンクからどうぞ♪

シノッチの黒歴史をのぞいてみよう